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中華料理店事典

中華料理店事典

中華料理店の歴史(国内)

本場の味を再現する店から大衆向けの食堂、ラーメン専門店まで、日本には様々な中華料理店があります。総務省が2011年(平成23年)2月に発表した「飲食店営業(中華料理店)の実態と経営改善の方策」によると、2006年(平成18年)の調査で国内の中華料理店は36万9,056軒で、一般飲食店の約12%。このように日本の飲食店の1割以上を占める存在となっている中華料理店ですが、どのように普及していったのでしょうか。国内における中華料理店の歴史を調べました。

中華料理は江戸時代に日本へ伝わった

中華料理は江戸時代に日本へ伝わった

江戸時代初期、外国との貿易の窓口である長崎・出島には、ポルトガル人や中国人が多く滞在していました。1689年(元禄2年)には、中国人居住区として「唐人屋敷」が出島に建設されました。そこに住む中国人は貿易商などの華僑がほとんどですが、彼らは料理人または使用人を中国から伴ってきました。こうして中国人向けの中華料理店は、当時すでに長崎にあったと言われています。その多くが広東省や福建省の人でした。

卓袱料理

江戸時代の長崎では、中国の料理や他国の料理を融合させた「卓袱料理」が生まれました。大皿に盛った料理をたくさん円卓に並べ、みんなで囲んで楽しむ宴会料理です。メニューは和洋中の要素を取りいれた物。卓袱料理の発祥年は不明ですが、1761年(宝暦11年)には卓袱料理の記録が残っています。

日本初の中華料理店は明治初期に誕生

1867年(明治元年)に長崎の唐人屋敷にあった中華料理店が、一般客を対象に料理を提供したのが、日本における中華料理店の始まりとされています。1870年(明治4年)の日清条約後は、日本に暮らす中国人が増加。長崎や横浜など各地に「南京街」と呼ばれる中国人居住区ができました。「横浜市史稿」によると、1871年(明治5年)の横浜南京街では、そこで生活する中国人は963名、中華料理店は130軒。使用人や料理人だった中国人が日清条約によって自由を得て、自分の店を開いた物が多いようです。多くは中国人向けに家庭料理を提供する食堂でした。

日本人向けの店が増えた明治後期

1894年(明治27年)に日清戦争が起きると、国内の華僑が激減。このため、日本人を含む一般客向けの中華料理店が増えるようになります。1910年(明治43年)には日本初のラーメン店と言われる東京・浅草「来々軒」が創業。ラーメンなど現代の日本の中華料理店でお馴染みのメニューの多くがこの時代に開発されました。

戦後、様々なジャンルの中華料理店が登場

1945年(昭和20年)、第二次世界大戦が終戦すると、日本中が食料危機になりました。しかし、中国は戦勝国であったため、南京街は食料が充実しやすい環境でした。当時、日本人や中国人など様々な国の人が南京街で空腹を満たしたと言われています。

戦前は広東料理が中心でしたが、戦後、満州で暮らす日本人が帰国したときなどに北京料理が伝わります。1960年(昭和35年)代には四川料理の料理人、陳 建民氏が日本のテレビ放送で四川料理のレシピを広く公開。1972年(昭和47年)には「日中共同声明」の発表と共に日本で中国ブームが起こり、中国のグルメも大いに注目を集めました。さらに、1978年(昭和53年)に中国の改革開放の動きがあると、この時期に上海料理の料理人が多数、日本へ渡ります。

こうして広東、福建、北京、四川、上海など様々なジャンルの中華料理が日本に広まったと考えられています。