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和食店事典

和食店事典

和食の歴史 平安時代

平安時代は、桓武天皇が平安京に都を移した794年(延暦13年)から、鎌倉幕府が成立した1185年(文治元年)頃とする説が一般的です。中国から伝わった文化を継承しながらも日本独自の文化が発展し、ひらがなやカタカナが誕生した時代としても知られています。約390年と長期にわたり、王朝国家体制を築きました。食事に箸のみを使用する文化が定着するなど、奈良時代以降に持ち込まれた大陸の食文化を日本のものとして発展させていきました。

素材の使い分けを経て、箸のみの文化に

素材の使い分けを経て、箸のみの文化に

平安時代の朝廷では、食事の際に「銀の箸と匙(かい)」「柳の木の箸と匙」の2セットが用意され、ごはんは柳の箸で、それ以外のおかずは銀の箸で食べる、というように使い分けていました。中国から箸と匙がセットで伝来したため、長きにわたって両方を用意していましたが、匙は時代を追うごとにだんだんと姿を消し、箸だけが使われるようになりました。

小麦でできた麺が食べられるように

この時代、遣唐使が持ち込んだ「索餅(さくへい)」という菓子をもとに作られた麺が誕生しました。小麦で作られたその麺は「麦縄(むぎなわ)」と呼ばれ、当初は貴族のみが食べていましたが、市場でも売られるようになり庶民の間にも広がりました。

うどんとそうめんの語源は菓子の名前

小麦粉で作った団子に餡を入れて煮た「混沌(こんとん)」は、現在の「うどん」の語源にあたる言葉です。小麦粉と米粉と塩を練り合わせたものを縄のように伸ばしねじって油で揚げた「索餅(さくへい)」は、現在の「そうめん」の語源です。

空海が持ち込んだせんべいとは

真言宗の開祖でも知られる空海は、中国での修業中に食べたせんべいが気に入り、職人に作り方を習ったと言います。帰国後は、京都に住む和三郎という男にその製法を伝え、その後、和三郎が「亀の子煎餅」と名付けて天皇に献上したことから、全国へと広がりました。ただし、この亀の子煎餅はやわらかく湿っており、日持ちが悪い菓子でした。現在の「濡れせんべい」に似た食感だったと考えられています。

レンコンの食べ方を伝授

「釈迦の誕生を告げて花開いた」と伝えられるハスは、仏教と大変にかかわりの強い植物です。ハスの花は万葉集や古今和歌集にも登場しますが、ハスの地下茎であるレンコンを食べる風習はまだ日本にありませんでした。レンコンを食べる風習を普及させたのは、最後の遣唐使船に乗った、円仁という僧です。円仁は、長安で密教を習ったあとに帰国しましたが、その際に、大量の経典と共にレンコンの食べ方を持ち帰り、それがもととなって瀬戸内海周辺で栽培されるようになりました。

アクが強い野菜、ゴボウ

平安時代の終わり頃から、ゴボウを使った料理が登場するようになりました。ゴボウは、ヨーロッパからシベリア、中国北部にかけて自生する野菜です。アクが強い野菜のせいかあまり好まれておらず、日本にゴボウを伝えた中国においては、1200年頃まではおかずとして食べられていたようですが、現在は、ヨーロッパでも中国でも薬草として使われるだけにとどまっています。

健康食材として食べ続けられてきた

日本では昔から黒色の食材が健康に良いとされてきた歴史があり、黒豆や黒ゴマと並び、ゴボウもそのひとつでした。そのことが、ゴボウを食べる風習が現在まで続いている理由とも言われています。