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和食店事典

和食店事典

和食の歴史 鎌倉時代

鎌倉時代は、鎌倉に幕府が置かれていた1185年(文治元年)頃から1333年(正慶2年)を指し、武士による政権が本格的にスタートした時代として、また、茶道が日本にもたらされた時代としても知られています。

茶道の始まりは鎌倉時代

茶道の始まりは鎌倉時代

日本に「茶道」の基盤が築かれたのは、鎌倉時代のことです。中国に留学した禅僧の栄西という人物が、抹茶を使用した飲茶法を日本へともたらしました。修行中の眠気冷ましとして、また、健康増進にも役立つとして伝えた茶は、用途はさておき、大変にモダンな飲み物として日本に受け入れられました。

禅宗と茶の文化を広めた栄西

栄西は、2度目の留学において5年程を中国で過ごし、茶と薬を持って日本へと帰国しました。持ち帰った茶の種は福岡県に植えられ、全国に普及するきっかけとなりました。1199年(正治元年)に鎌倉へと下り、源頼朝の命によっていくつかの寺を開き、禅と茶の文化を広めました。

宇治茶が誕生し、茶会が流行

ときを同じくして、京都の僧であった明恵は、栄西から茶の種を譲り受け、京都で熱心に茶の栽培に励みました。これが、宇治茶のはじまりです。当初は、禅僧の間で飲まれていただけでしたが、そのうちに公家や武家のあいだにも広がり、茶会を開く文化が流行するようになりました。鎌倉幕府の三代将軍である源実朝に関する記録の中に、二日酔いの際には茶を飲んで気分を直していたとの逸話が残っている程、茶の文化は広く受け入れられていたようです。

茶を使った賭けごとも登場

栄西は、茶の飲み方と共に抹茶の作法も持ち込んだのですが、当時はあまり普及しませんでした。当初は限定的な地域でのみ栽培されていた茶が、京都から東海地方にかけ広い範囲で栽培されるようなった頃、上流階級に身を置く者たちの間で流行したのが「茶寄合(ちゃよりあい)」です。茶寄合は別名「茶かぶき」とも言い、たくさんの茶の中から、茶の産地や銘柄を当てるというもの。現代風に言うと「利き茶」のような遊びでした。ただ言い当てておしまいという訳でなく、賭けごととして楽しむケースが多かったようです。

煎茶も茶の湯の一種

「茶の湯」とは、茶を楽しむ作法全体のことで、臼で挽いた粉茶を茶筅でたてる「抹茶」も、茶葉を急須に入れて茶の成分を抽出する「煎茶」も、茶の湯の一種にあたります。現代では、茶の湯と聞くと抹茶をイメージする人が多く、その理由としては、室町時代に登場する千利休の影響が大きいと考えられます。

日本の醤油文化はたまり醤油から始まった

今や日本料理に欠かせない調味料である醤油が日本に登場したのは、味噌の副産物である「たまり醤油」が始まりです。1254年(建長6年)、中国で修業を積んだ長野の禅僧、覚心が「金山寺味噌」の製法を持ち帰りました。麦や大豆を主原料にして麹で発酵させる味噌づくりは平安時代より行なわれていましたが、ダイズ、麦麹、塩、麻の実、シソ、ショウガなどを混ぜ合わせ、1年程度熟成させて完成する金山寺味噌は、いたる地域で評判を呼び、覚心は地方へ出かけては味噌の製法を伝え回っていました。あるとき、紀州で味噌の製法を教えていた際に樽の底に溜まった汁を偶然発見し、「たまり醤油」が広く知られることとなりました。現在は、愛知、岐阜、三重の3県でたまり醤油が作られています。