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和食店事典

和食店事典

和食の歴史 江戸時代

江戸時代は、徳川家康が征夷大将軍の命を受けた1603年(慶長8年)から、江戸城が明治政府軍に渡される1868年(明治元年)を指します。265年にわたって安定した国政を築き、めまぐるしい経済発展を遂げました。庶民の文化や芸術が花開いた時代としても知られており、人形浄瑠璃、歌舞伎、漫談など、現在に続く伝統芸能の礎を築きました。製糖技術が持ち込まれたことで庶民も気軽に甘味を楽しめるようになり、現在に続く宴会料理が誕生した時代でもあります。

俳句から始まった宴会文化

俳句から始まった宴会文化

江戸時代になると財を築く町人が増え、そうして社会的地位を得た町人のあいだで「俳諧」「俳句」の趣味が広がりました。当初は、俳諧を趣味とする者たちが集まり、少々の酒が出る程度の会を開いていましたが、「俳句」と名を変えて庶民のあいだに広がるにつれて、俳句の会は、酒を飲んだり料理を食べたりする社交の場へと変化していきました。

文化的背景から見る「会席」「懐石」の違い

「料理茶屋」とは、現在でいう料亭のような店のこと。当初は茶席が開催される場所として知られていましたが、俳句ブームの高まりと共に、俳句の会が開催されるようになりました。江戸中期を過ぎたあたりから、「茶の懐石」「俳句の会席」を合わせて「会席」と呼ぶようになり、上等な料理の名称として定着しました。現在は、茶席で出される料理と「懐石」、酒の席で出される上等な宴会料理を「会席」と使い分けることが多いようです。

味噌汁が庶民の味に

味噌汁は、懐石料理の登場と共に室町時代から飲まれていましたが、江戸時代には、庶民のあいだでもポピュラーな汁物となりました。朝食に飲む味噌汁は大事なエネルギー源とされ、感謝を込めて「御御御汁(おみおつけ)」と呼んでいました。

揚げ物文化がヨーロッパから伝来

戦国時代末期から盛んになっていたポルトガルとの国交は、ヨーロッパの揚げ物文化を日本にもたらしました。当時から、油で揚げた料理を「天ぷら」と呼んでいましたが、小麦粉の衣を付けずに揚げただけのものを指していたようです。そのため、魚のすり身を油で揚げた「薩摩揚げ」のことを「天ぷら」と呼ぶ地域もありました。

自国での製糖がスタート

日本でサトウキビの栽培が始まったのは1610年(慶長15年)からのことです。そのきっかけとなったのは、奄美大島に住む直川(すなおかわ)という男が、現在の沖縄へ渡航する途中、難破してたどり着いた先の中国で製糖技術に出会ったこと。中国では、他国の人間に製糖技術を教えることが禁止されていたものの、直川は1年半の滞在中に密かに技術を覚えます。直川は、奄美大島へ戻るときにサトウキビの苗を隠して持ち帰り、日本の地に届けました。その後、幕府の命令によって全国各地でサトウキビが栽培されるようになり、今日に至ります。

1,000年ものあいだ、砂糖は高級食材だった

実は、日本に砂糖が初めて持ち込まれたことに限定すると、時期は奈良時代にまでさかのぼります。754年に遣唐使が帰国した際、遣唐使と共に渡来した中国の僧侶、鑑真が持ち込みました。その後1,000年近くにわたって製糖技術を持たなかった日本では、長きにわたり、砂糖は上流階級の贈答品として扱われていました。