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和食店事典

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向付(むこうづけ)

懐石料理の最初に、ごはんと汁物と同時に登場する一汁三菜の「一菜目」にあたる料理です。もともとの正式な向付は、ダイコンやニンジンの千切りを酢漬けにした「なます」ですが、近年は刺身を出されることが多いようです。

料理が終わるまで、手元に残る器

料理が終わるまで、手元に残る器

向付の器は、料理を食べたあとは取り皿に使うため、最後まで手元に残ることになります。そのため、茶事の趣向や季節感をあらわす器としても重要な役割を持っています。主催者(亭主)にとっては、器選びのセンスをいかんなく発揮できる場所であり、招かれた客にとっては、懐石の楽しみのひとつでもあります。

向付を食べるのは、汁を飲み干してから

ルールに厳しい懐石料理ですが、最初に出される3品を食べる順番にも決まりがあります。まずはごはんと汁に口を付け、ごはんは一口分残しておきます。汁物はすべて飲み干し、そのあとで向付に口を付けます。汁を飲み干したタイミングで酒が出てくる場合がありますが、その場合は、酒を出されてから手を付けるのが正式なマナーとされています。

当初の懐石と向付の名の由来

懐石は、誕生してから少しずつ内容を変え、現在に伝わるような形へと落ち着いていきました。「会席料理」の由来が「懐石料理」であることは先にお伝えしましたが、実は、茶会で食事が出されるようになった当初は「会席」「ふるまい」などと呼ばれていたとの記録が残っています。その後、禅寺の修行僧が寒さや空腹をしのぐため「懐」に「温めた石」を入れて暖を取ったことに由来して、「会席」を「懐石」とあらわすようになりました。

茶会の食事には、禅寺の器が使用されていた

茶会の料理は当初、禅寺で使われていた朱塗りの椀を使っていたと考えられています。茶会のためだけにわざわざ特別な器をあつらえるようになったのは、千利休が茶の湯を広め始めてからのことです。当初は朱塗りの器だけでしたが、わび茶の食事にふさわしいとの理由から、黒の漆塗りで仕上げた器が登場しました。

当初の懐石料理には、椀が4つ均等に並んでいた

1544年(天文13年)に、22歳の千利休が開いた茶会の料理は、折敷の手前側にはごはんの椀と汁椀が、その反対側に、ウドの料理が入った椀と、麩の料理が入った椀が並べられました。上から見ると、4つの器がバランス良く置かれているような格好です。この当時は、折敷の上に4つの器を置くのが通例となっており、また、使用する器は黒か朱の無地の漆椀でなければならないと決められていました。

ごはんと汁物の向こうに見えるから「向付」

その後、わび茶の様式もだんだんに変化をとげました。千利休が晩年の頃は、折敷の上に置かれたごはんと汁物のあいだから見えるように、料理を盛った陶磁器の器が置かれることが増えてきました。こうして、「折敷の向こう側に置かれる料理」という意味から「向付」と呼ばれるようになりました。