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お好み焼き事典

お好み焼き事典

お好み焼き屋の歴史(関西風)

粉もの王国と言えば、やはり大阪!「お好み焼き」の他「焼そば」「たこ焼き」などもとても人気があります。さらに大阪近隣の都市を見ると、神戸には「モダン焼き」「にくてん」「ぼっかけ」が、明石には明石焼とも呼ばれる「玉子焼」があり、粉もの文化は関西地方に広がっています。特にお好み焼きは全国的にも「広島風」と並んで「関西風」が人気で、それぞれに根強いファンが多く存在しています。今回はその関西風お好み焼き屋の歴史をひもといてご紹介します。

「おやつ」から「料理」への変遷

「おやつ」から「料理」への変遷

お好み焼きの起源は安土桃山時代に千利休が作らせた「麩の焼き」という物だと伝えられているため、500年近い歴史がある料理であると言えます。「麩の焼き」はお茶うけ用のお菓子として作られた物で、甘い物であったと推測されます。それがあらゆる形態の変化を経て、明治時代の半ばに現在の「もんじゃ焼き」が誕生し、お好み焼きの原型が誕生したと言われています。

屋台メニューで人気が広まったお好み焼き

明治時代までのお好み焼きは、屋台で売られていた簡単な物で、料理と言うよりは子ども向けのおやつとして親しまれていたようです。その頃には食用のキャベツの栽培が発達してきており、次第にお好み焼きに入れられるようになりました。今ではお好み焼きに欠かせないキャベツは、当時は斬新だったそうです。さらにその頃人気が高まってきた国産のウスターソースを使用するにより、お好み焼きは徐々に"屋台で食べるおやつ"から"お店で作ったものを家で食べる料理"へと変貌していきました。

戦後の空腹を満たしたお好み焼き

関西でお好み焼き屋が増えたのは1945年(昭和20年)の終戦以降だと言われています。東京や名古屋と同様に大阪の街はアメリカ軍からの空襲を受け、8回もの空襲により市街地は焼け野原となり、一般市民の1万人以上が犠牲になりました。当時は戦前から続く食糧難の時代。主食である米はまだ高騰しており、庶民は空腹をどう凌ぐかが毎日の苦労でした。なおかつ男性の多くが戦死し、食器や調理器なども乏しい時代でした。そこで人気が出始めたのがお好み焼き屋です。鉄板一枚で調理ができ、貴重品だった肉の代わりにイカなどの海産物が利用でき、そして女性が一人で店を切り盛りしやすいお好み焼き屋が次々と開業していき、関西の庶民の味として戦後復興のパワーとなっていったのです。

町内にひしめくお好み焼き屋

こうして大阪の街を中心に増えていったお好み焼き屋。特に大阪市内ではひとつの町内に4軒から5軒の店が開けられていたとも言われています。当時は今のように家庭内でお好み焼きを作ることは少なく、店で焼いてもらった物を持ち帰って家庭で食べる習慣が主流でした。そのためにお好み焼きの出前も盛んに行なわれていました。

お店でお好み焼きを食べる時代に

そして日本は高度経済成長時代を迎え、庶民の暮らしも豊かになっていきます。1975年(昭和50年)頃には「外食」スタイルが流行し、お好み焼きもお店の中で食べることが主流になっていきます。メニューの数も増えていき、お好み焼き屋で焼そばや焼うどんが食されることもこの頃から始まったとされています。